【Hoi4】スペイン帝国の再興 スペインプレイ dos(2)
スペイン内戦
スペイン内戦では共和スペインと国粋スペインが戦うのだが、前回書いた通り国粋スペインでプレイしていくため敵は共和スペインとなる。赤でくくったところが共和スペインになる土地なので、そこに師団を配置しておくと内戦が比較的楽になる。
ということで撤退戦というものを使って師団を配置した。説明は以下の通り。
プレイヤーは、支配下の領域に退却線を引くことが出来ます。これにより、師団に移動や展開の命令中のAIへ前線と同じように退却線を伝え、敵の侵攻に対して維持するラインと、そのラインをもし突破されているなら失地回復の為に反撃するよう設定できます。
前線のように退却戦に待機している師団は計画準備ボーナスを得ることは出来ません。しかしながら、長い間同じプロヴィンスに待機している師団は塹壕ボーナスを得ることが出来ます。
北は大丈夫なの?という人もいるかもしれないが、そこはドイツとイタリアの義勇軍が何とかしてくれるだろう(投げやり)
義勇軍の派遣は自身が戦争に参加することなく、他国の戦闘に参加するための師団を送る方法です。これは主要な戦争が発生する前の数年間において、経験値を獲得し、戦争関係国との親密な外交関係を伴わずに戦争の結果を操作するための有効な方法といえるでしょう。義勇軍は、プレイヤーにとっては師団テンプレートのコンディションを量る実地テストとして用いることも可能です。派遣先の義勇軍の指揮、補給、そして再編成は送り主の国家に依存します。また、義勇軍の派遣は国際緊張度(World Tension)を高めます。
国家は非戦争状態でのみ義勇軍を国外へ送ることができます。義勇軍の派遣能力はイデオロギーと国際緊張度によって制限され、ファシストは望む時ならいつでも送ることができる一方で、対極に民主主義(Democracies)はかなり制限されています。しかしながら、フランスはそれを早くから行う能力があります。
義勇軍を派遣するために、その師団はまず軍(army)を形成する必要があります。その軍に割り当てられた指揮官は経験値を稼ぐことができます。軍は外交行動(diplomatic action)の"Send Volunteers"を通して派遣され、プレイヤー画面に新しい戦域(army theatre)が形成されると、そこに派遣された軍集団が自動的に割り当てられます。義勇軍の往復の輸送には2週間を要します。義勇軍は、本国で戦争が発生したか、もしくは派遣先の戦争が終結した際に帰還します。義勇軍が帰還するとき、彼らは装備の95%を携行します。残りの装備は輸送中に失われるか、派遣先に取り残されることになります。義勇兵師団は現地で解散することもでき、そうすると人員や装備が派遣元の国家に帰還しますが、解散した師団の代替を作成するには新しい師団を組織し、訓練する必要が生じるでしょう。
配置できる師団の数は活動中の20師団毎につき1師団です(この数値は切り捨てで、19師団以下の場合義勇軍は派遣できません)。すなわち、176師団が活動中であれば8師団送ることができ、181師団ならば9師団が義勇軍として配置できることになります。また、師団を構成する部隊が1大隊のみの場合でも、25大隊(テンプレート上限)からなる師団と同様に1師団として数えられます。つまり、1歩兵大隊からなる最小規模の20師団でも1つの義勇兵師団を派遣することが可能です。また、義勇軍をわずかでも送るためには、派遣元の国家は最低でも30師団保持しなくてはなりません。これに送り先の国家における20プロヴィンスにつき1師団が追加されていきます。
なお、受入国が開戦時に領有している中核州の数が派遣できる義勇兵師団数の上限となります。
もしダメだったら近い師団から引き抜くので大丈夫(投げやり)
黒い矢印で示したのが第一攻勢、白が第二攻勢。なるべく敵師団に対して包囲殲滅を行いたいと思いこのようにした。包囲殲滅とは敵師団を包囲して殲滅することであるが、積極的に包囲殲滅すれば勝ちやすい。なぜ包囲するのかというと周りからの補給を断つことができるからである。補給が足りなくなれば敵師団が弱体化して攻めやすくなる。敵の共和スペインは首都であるマドリードを陥落させても首都をバルセロナに移して降伏しないことがあるのでバルセロナも忘れずに攻勢を仕掛ける。ここまでで内戦の準備は終了。(戦闘機、艦隊ともに準備は終わっている状態)
研究・建設・国家方針
研究はいつものを選択(電子機械工作、基礎工作機械、建設Ⅰ)
- 電子機械工作・・・研究時間の短縮
- 基礎工作機械・・・生産効率の上昇
- 建設Ⅰ・・・建設速度の上昇
建設はとりあえず軍需工場一択で(武器が足りないから)
国家方針はとりあえず政治力が手に入る政治的努力を選択。政治力は宣戦布告時に使ったりいろいろできる。
各国家は政治・経済・外交・研究などに影響のある国家方針ツリーを持っています。
独自の国家方針を持つ国家はフランス、ドイツ、イタリア、日本、ソ連、イギリス、アメリカ、ポーランドです。DLC「Together for Victory」によって、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ、英領インドの英連邦諸国に、「Death or Dishonor」でチェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ユーゴスラビアに独自の国家方針が追加されます。その他の国家には共通の一般国家方針があります。
国家方針は一度に1つずつしか進めることができず、継続方針以外は中断することもできません。国家方針を進めている間は、1日に1政治力を消費します。
ほとんどの国家方針は70日で終了します*1。
国家方針を前の国家方針が完了してから10日までに始めれば、その分の国家方針は即座に進みます。(政治力は日数分マイナスされます)
政治力(PoliticalPower)は国家の指導者が持つ影響力を表したものです。最大2000まで貯蓄できます。
- 政治力は2PP/日で自動生成されます。
- 特定の国家指導者は政治力補正を持っています。(下記)
- 国家方針を取得するには時間(大抵70日)と1PP/日が必要です
- 政治力は国家戦略を取得するのにも必要です。
- 新たに指揮官を雇用するのにも使えます
政治的努力が終わり次第、集産主義理論、国粋主義への特化、軍国主義、軍事的青少年団体、工業への注力と選択していく。そこからは研究枠が手に入る(←ここ大事)国家方針まで進めていくのがいいと思う。軍国主義の国家方針で徴兵できる人口を1.5%から6.5%にすることができ、軍事的青少年団体で6.5%から8.5%にすることができる。そのほかに政治力を使って徴兵法を志願兵のみから大規模徴兵にすれば人的資源を増やすことができる(特にスペインは人的資源が少ない)
開戦
というわけで準備が完了次第、共和スペインからの宣戦布告を待つ
~しばらくして~
共和スペインと戦争状態になった。スペイン内戦の始まりである。右上を見てみると時間が表示されていると思うがこれはゲーム内時間である。1936年9月13日にスペイン内戦が勃発しているが、史実では1936年7月17日に勃発しているのでおよそ2か月の時間差があるようだ。
包囲のち殲滅
上の黒で囲ったところが現在我が軍に包囲されている敵師団である。包囲をすると敵は補給ができなくなり自然と弱っていく。
しかし、海上からの補給もできるので(上の画像の赤丸で囲った港から)制海権をとって補給をできないようにしよう。画像はないが国粋スペインのクソザコナメクジ級の海軍でも制海権は取れている。
手のひらとイタリア王国の国旗、ナチス・ドイツの国旗のマークがあると思うがこれが『義勇軍を送ってもいいですか?』というマークである。忘れずにマークを押して義勇軍を送ってもらおう。(筆者は途中まで気が付かなかった)
義勇軍無しで戦っても勝てるのだが共和スペインはソ連から義勇軍をもらっているので内戦終結まで時間がかかる。
あと上の画像にみられる緑色のマークがあると思うが緑色の時が敵との戦いで優勢、赤色の時が劣勢であるという意味のマークである。
~しばらくして~
義勇軍の助けもあり包囲殲滅に成功しつつある。包囲殲滅が終わり次第、南下していく。
マドリード(敵軍の首都)攻防戦、もちろん優勢。
マドリード陥落後、敵は首都をマラガに移して徹底抗戦を表明、しかし敵はここまでで師団をかなり失っておりこちらの優勢である。(画像で2つほど劣勢が見えるが気のせいである)
その敵首都マラガで早速攻防戦が始まる。ちなみにマラガはリゾート地であり読者の皆さんもぜひ行ってみてほしい。(媚びを売る)
マラガ(スペイン語: Málaga: スペイン語: [ˈmalaɣa])は、スペイン・アンダルシア州マラガ県に属するムニシピオ(基礎自治体)。マラガ県の県都である。地中海岸のリゾート地であるコスタ・デル・ソルの中心にある。
世界有数の歴史を持つ都市であり、紀元前770年頃にフェニキア人によって建設されたマラカ(Malaka)にさかのぼる[2]。紀元前6世紀からはカルタゴの支配下にあり、紀元前218年からはマラカ(Malaca)として古代ローマの支配下にあった。ローマ帝国が崩壊し、西ゴート王国の支配が終焉すると、約800年間はイスラーム勢力の支配下にあった。1487年にはカスティーリャ王国のレコンキスタによってキリスト教勢力の支配下に戻った。フラメンコの様式であるマラゲーニャはマラガで生み出された。2016年には欧州文化首都の候補となった。
国粋スペインの勝利
マラガの攻防戦ののち我が軍がマラヤを奪還(”占領”のほうが正しいかもしれない)どちらにせよ国粋スペインの勝利である。(大本営発表)
史実では…
スペイン内戦終結は今回、上の画像を見てもらえばわかると思うが1937年4月11日、史実では1939年4月1日、2年も早く終結させることができた。これは非常に大きい成果だろう。(自慢)でも、もっとうまい人なんかはもっと早く終結してると思う。(落胆)
次回は隣国ポルトガルを攻めていこうと思う。
それでは今回はこの辺で。
ありがとうございました。